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【水口教授のヨーロッパ通信】PRIアカデミック・ネットワーク参加報告-責任投資と金融化- 2016/01/28 ESGコラム

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 なぜ、世界には責任投資が進んでいる国と、そうでない国があるのだろうか。その理由を社会の「金融化(Financialization)」と結びつけて考えようとする議論に出会った。PRIアカデミック・ネットワークが主催した研究発表会のひとこまである。「金融化」という概念は責任投資とどう関わるのか。この発表の内容を切り口に考えてみたい。

1. なぜ責任投資の進展に差があるのか

 ネルソン提督の銅像が見下ろすトラファルガー広場から、東に歩いて約10分、ロンドン中心部の賑やかな通りをひとつ曲がったすぐのところに、LSE(London School of Economics and Political Science)の建物はあった。2015年9月11日、このLSEの教室を会場に、PRIアカデミック・ネットワーク主催の「ワークショップ2015」が開かれた。PRIアカデミック・ネットワークとは、PRI(責任投資原則)のスタッフが事務局機能を務め、責任投資やESG投資に関連する研究者が参加する学会に似た組織である。そこが毎年1回、研究会を開催しているのである。

 今年は1時間のセッションを午前2コマ、午後2コマ、いずれも2つのセッションの並行開催で、合計8つのセッションで発表が行われた。各セッションの発表者は3人で、それぞれ発表10分、質疑10分である。その中で興味をひかれたのが「SRIファンドの世界的な拡大:金融の逆説的な役割(The global rise of socially responsible investing funds: The paradoxical role of finance)」と題した発表だった。発表者は、スペインのナバーラ大学(University of Navarra)IESEビジネススクールのS.ヤン氏(Shipeng Yan)である。

 彼の発表は、国ごとの責任投資と金融化の進行度合いの関連を調べた実証分析であった。2000年代以降、責任投資は世界的に広がったと言われるが、SRIファンドの数や資金量を見れば、非常に進んだ国と、そうでない国がある。なぜ国によって責任投資の進展に差があるのか。その理由を国による金融化の度合いの違いに求め、データによって検証しようというのである。

 実際に縦軸に責任投資の広がりを、横軸に金融化の度合いをとって各国のデータを位置付けていくと、真ん中が盛り上がった山型の分布になる。ヤン氏はこれを、次の2つの要因が複合した結果であると仮定し、両軸の変数間の関係を統計的に分析して、有意な関係があることを示した。2つの要因とはこうである。まず、中国のように金融化が進んでいない国では責任投資は広まらない。責任投資は、投資に対する世の中の理解や金融技術、アナリストの存在など、ある種の金融インフラに依存しているからである。一方で、香港やシンガポールのように金融化が進みすぎても責任投資は定着しない。なぜならそういった国では、金融とは資金運用で利益を生むことだという捉え方が強くなり、他の産業に資金を供給する社会インフラとしての意識が後退してしまうからである。いわば金融自体が自己目的化してしまい、社会性への配慮が入る余地が少なくなる。その結果、金融化が中程度の国で責任投資が一番盛んになる山型の分布になるというのである。

 一見、なるほどと思わせる説明だが、本当にそうだろうか。もちろん責任投資の進展は金融化の程度だけに依存するわけではなく、SRIを行ってきた歴史の蓄積にも左右されるだろう。また、実際に責任投資を行う機関として年金基金が重要な位置を占めることから、国による年金制度の違いや、年金積立金の運用に対する規制など、制度的な要因が影響している可能性もある。だが、それらを別にしても、次のような疑問が残る。英国や米国は責任投資の最も盛んな国だが、同時に金融化の最も進んだ国ではないのか。この疑問に答えるには、「金融化」とは何かを、もう少し詳しく考えてみる必要があるだろう。

2. 「金融化」をどうみるか

 「金融化」という概念は、実はかなり幅広い内容を含んでいる。この分野の先駆者の一人であるエプスタイン(Gerald A. Epstein)氏は、2005年に出した『Financialization and the World Economy(金融化と世界経済)』の中で、次のように述べている。

 最近30年間の世界経済の変化を特徴づけるのは、政府の役割が後退し市場の役割が大きくなる新自由主義(neoliberalism)、グローバリゼーション、金融化の3つだが、このうち金融化の議論は比較的新しく、定義に関する合意も得られていない。論者によって、それはコーポレートガバナンスにおいて「株主価値」が優勢になる傾向を意味したり、銀行中心の金融システムよりも資本市場中心の金融システムが優位になる現象を指していたりする。金融収入を得る社会階層の人々の政治的・経済的影響力が高まっていく動向を指す場合もあれば、無数の新金融商品の投入とともに金融取引が急拡大する現象をさす場合もある。利益の創出が商品生産や貿易からよりも、金融の経路を通して起きるような資本の蓄積形態だとの見方もある。実体経済よりも金融を通じて利益が生み出されるようになるという意味である。これらを包含するものとして、同書では金融化を「国内経済および国際経済において、金融的な動機、金融市場、金融関係者、金融機関の役割が増大していくこと」と定義している。

 この定義は包括的で、金融化の多様な側面を捉えている。しかしこのままではデータにできないので、実証分析には使えない。そこで実証分析をする場合にはより具体的で、焦点を絞った定義が必要になる。責任投資との関係を分析したヤン氏に彼の定義を確認したところ、「一国の労働者に占める金融関係の労働者の比率」という答えが返ってきた。なるほどこれは、「国民経済における金融の比重や金融の重要性が高まっていくこと」という金融化の特徴をうまく捉えている。データも取りやすい。

 だが、データ化できることには限界もある。たとえば人口の多い中国にこの定義を当てはめれば、たしかに「金融化の遅れた国」ということになるだろう。しかし上海や深圳に目を向ければ、金融産業はきわめて発展していると言えるのではないか。

 米国や英国はどうだろうか。製造業でも長い伝統があり、実体経済の厚みもあるために、金融業界で働く労働者の人口比率でみれば、香港やシンガポールほどには金融化は進んでいないとも言えるだろう。しかし、革新的な金融商品を生み出す力や、実体経済を離れて金融自身が利益を生むという面では、英米ともに金融化の最も進んだ国と言えるのではないか。つまりヤン氏の分析は金融化をある1つの側面から切り取った結果、先に述べた結論に至ったが、別の側面から見れば、金融化の最も進んだ国(英米)で責任投資が最も進んでいるとみることもできる。

 だがもしそうだとすれば、ヤン氏が提起した「金融化が進み過ぎると金融自体が自己目的化してしまい、責任投資の思考と矛盾する」という仮説をどう考えるべきだろうか。ひとつには、短期主義が行き過ぎたという自己認識があるからこそ、責任投資への期待も高まっているという見方もできるだろう。興味深いのは、北欧やオランダのように、英米ほどには金融化していないと思われる国の中にも、責任投資に熱心な国があるということである。それらの国と比べて、金融化の進んだ国の責任投資は質的に異なるという可能性はないか。今後は、各国の責任投資の間にある違いにも注意していく必要があるかもしれない。

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QUICK ESG研究所 特別研究員 / 高崎経済大学経済学部 教授 水口剛

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