
日本政府は2025年12月、2020年に策定された「ビジネスと人権に関する行動計画(2020-2025)」(旧NAP)の改定版となる「ビジネスと人権に関する行動計画(改定版)」(改定版NAP)を策定した。
ビジネスと人権に関する行動計画(NAP)は、国連ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)で規定されている国の責務を果たすために、各国政府が策定する行動計画。直接的には国としての責務が記載されているが、UNGPで企業の責務として掲げられている行動を国として促していく内容も盛り込まれている。
改定版NAPでは、優先分野の明示や企業への期待がより具体化され、国内のあらゆる企業に人権尊重を促すものとして定義された。一方で、外部機関からは、日本政府の企業への「期待」が、法的拘束力を持たない自主的ガイドラインに留まっている点を課題として指摘されている。国際的な評価機関が企業に求める基準に到達するためには、企業が改定版NAPの要件を満たした上で、さらに自らの判断で踏み込んだアクションをとることが求められている。
本稿では、改定版NAPの概要と企業に求められるアクションを解説する。
改定版NAP(「ビジネスと人権」に関する行動計画改定版)の概要
改定版NAPでは、旧NAPの5つの優先分野から8つの優先分野へと拡大し、人権デュー・ディリジェンス(DD)及び中小企業の能力構築についてより明確に重点化している。旧NAPでは普及に焦点が当てられていたが、改定版NAPではアクションに焦点が移ったと言える。
旧NAPの5つの優先分野
- 政府、政府関連機関、地方公共団体等の「ビジネスと人権」に関する理解促進と意識向上を図る。
- 企業の「ビジネスと人権」に関する理解促進と意識向上を図る。
- 社会全体の人権に関する理解促進と意識向上を図る。
- 国内外のサプライチェーンにおける人権尊重の取り組みを促進する仕組みの整備をする。
- 救済措置の整備と改善を行う。
改定版NAPの8つの優先分野
- 人権デュー・ディリジェンス(DD)及びサプライチェーン
- 「誰一人取り残さない」ための施策推進
- テーマ別人権課題
- 指導原則の履行推進に向けた能力構築
- 企業の情報開示
- 公共調達・補助金事業等を含む公契約
- 救済へのアクセス
- 実施・モニタリング体制の整備
同改定プロセスにおいては、外部機関等からの提言も反映されており、リスクの特定にとどまらず、防止、軽減、追跡及び救済を含む効果的な人権DDへの期待が反映されたほか、意味のあるステークホルダーエンゲージメント及びサプライチェーンにおける実践的行動への言及の強化、ビジネスの国連持続可能な開発目標(SDGs)推進国際NGOのWorld Benchmarking Alliance(WBA)が運営している企業人権ベンチマーク(CHRB)等の第三者ベンチマークを通じた透明性及び情報開示の重要性が盛り込まれた。
また、改定版NAPでは、各優先分野に対して課題認識及びこれまでの取り組み、取り組みの方向性及び具体的施策の例を提示している。技術や社会の変化に伴い企業が新たに向き合うべきテーマ別人権課題として、「AI・テクノロジーと人権」「環境と人権」が追加された。
さらに、「誰一人取り残さない」ための施策として、ジェンダー平等、外国人労働者、子ども・若者、障害者、高齢者の5つのグループに対する人権保護の視点と制度設計に関する期待が具体化された。欧州等の法規制を見据えた企業の情報開示の推進や、苦情処理メカニズムの構築など、政府から企業に対する期待事項も明記された。
(出所)ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議
改定版NAPに対する外部機関からの指摘
WBA及びBHRCの共同声明に基づく評価と実態の指摘
日本政府による改定版NAPの策定においては、国際的な評価機関やNGOからは、その実効性に関する具体的な課題が指摘されていた。
国際人権NGOのビジネスと人権センター(BHRC)とWBAは2025年8月、日本の改定版NAPについて、人権デューデリジェンスの強化を求める共同声明を発表した。
その共同声明の中で、WBAが運営している企業人権ベンチマーク(CHRB)では、2018年から2023年にかけ、人権デューデリジェンスのステップのいずれかを満たす日本企業の割合が32%から57%に増加し、1社当たりの人権デューデリジェンスステップの平均達成率は12%から31%に上昇したと評価。
但し、包括的な実施は依然として稀であり、自社及びサプライチェーンの両方で主要なステップをすべてカバーする完全な人権デューデリジェンスを実施した企業は1社のみと説明。改定版NAPでは、第三者ベンチマークや公開開示等のツールを活用し、より明確な期待値を設定し、透明性の強化及び責任の促進を図るべきとした。
特に、特定したリスクに対する行動への移行において、G7の他国企業との間に決定的なギャップが存在する。自社のサプライチェーンにおける人権リスクを特定している日本企業は43%だが、G7他国は82%であり、サプライチェーン上のリスクに対して実際に行動を起こしている日本企業はわずか4%に対して、G7他国は31%となっている。
また、両者は2026年2月、日本の改定版NAPの公表を受けて、共同声明を発表。改定版NAPが透明性や企業の情報開示の重要性を補強しており、その手段として企業人権ベンチマーク(CHRB)のような第三者ベンチマークに継続的に言及していることを前向きに評価し、改定版NAPの公表を歓迎しつつも、国際的な潮流である人権DD義務化への道筋等、複数の課題が残されていると改めて指摘した。
特に、世界的に人権DDの義務化が進む中で、改定版NAPはEUの企業サステナビリティ報告指令(CSRD)や企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令(CSDDD)等に言及しているものの、特にグローバル・サプライチェーンにおける実施上のギャップへの対応や、公平な競争条件を確保するための明確な道筋が示されていないと苦言を呈した。
具体的には、実効性を高めるため、日本政府に対し次の3点について一層の対応を求めており、多くの中小企業を含む日本のサプライチェーン全体において、方針の策定にとどまらず、実践的な行動へと移行することを求める内容となっている。
- サプライチェーン全体にわたる包括的な人権デューデリジェンスの実施及び意味のあるステークホルダーエンゲージメントに対する期待の強化
- 環境及び人権に関連する負の影響が地域コミュニティ、先住民族及び人権擁護者に不均衡に及ぼされていることを踏まえ、公正な移行を確保するためのより明確なコミットメントの提示
- NAPに示された行動の有効性を測定し、進捗を継続的に追跡するための適切な指標及びモニタリング体制の導入
CHRBが示す評価構造と上位・下位の差
改定版NAPにおいて、第三者ベンチマークとして言及されているWBAの企業人権ベンチマーク(CHRB)の評価構造からも、企業には実践的な行動が求められていることがわかる。
WBAのCHRBは、食品・農業、アパレル、採掘、ICT製造、自動車製造の人権リスクの高い分野で事業を行う企業の人権方針、プロセス、慣行を公開情報に基づき評価し、ランキングする仕組みである。2026年版は世界105社に対して評価が実施された。
(出所)WBA
CHRBの評価方法は、7つの評価分野で構成されており、各評価分野ごとにインディケーターが複数設置され、各インディケーターごとに2つから6つの要素が存在。各インディケーター、各要素は同じ荷重であり、満点を100点としてスコア化される。
| # |
評価分野 |
インディケーター数 |
配点 |
| A |
ポリシー・コミットメント |
9 |
5% |
| B |
取締役会レベルの責任 |
4 |
5% |
| C |
人権尊重を文化や経営システムに組み込む |
10 |
15% |
| D |
人権デューデリジェンス |
5 |
15% |
| E |
救済措置と苦情処理メカニズム |
8 |
20% |
| F |
人権への影響を防止するための具体的な実践 |
24 |
20% |
| G |
人権への深刻な負の影響の申し立てへの対応 |
3 |
20% |
(出所)WBAの発表を基にニューラル作成
CHRBの評価において、上位企業と下位企業を分ける決定的な違いは、得点している分野の差だ。配点構造の通り、評価分野Aの方針策定は全体のわずか5%に過ぎず、評価分野D、E、F、Gの人権DDや救済、追跡評価の配点比率が高い。
実際にCHRBの2026年版のスコアを確認すると、スコアが低い企業は方針策定(評価分野A)にとどまっているケースが多く、上位にランクインする企業は、人権DDや救済、追跡評価のスコアが高い。エネルギー世界大手イタリアEniが総合スコア94.4で首位。ファーストリテイリングが総合スコア78.9で日本企業14社中トップの第10位だった。
(出所)WBA「Corporate Human Rights Benchmark」
これらの外部機関の声明やCHRBの評価構造は、企業に求める水準が「方針の宣言」「自主的な調査」の段階を過ぎており、「サプライチェーン全体での実効性の証明」「是正措置と救済の提供」「ネガティブな事象を含む透明性の高い情報開示」へと移行していると言える。
先進企業の事例(ファーストリテイリングとEni)
企業は具体的に何に取り組み、どのような情報を開示すべきなのかを、先進企業のファーストリテイリングとEniの取り組みを例に紹介する。
ファーストリテイリング
ファーストリテイリングは、2026年版の評価において、評価分野E:救済措置と苦情処理メカニズム領域でのスコアが93.8点となっており高く評価されている。
苦情処理メカニズムでは、自社の従業員だけでなく、サプライチェーンの労働者や地域社会等の外部ステークホルダーも利用可能な通報窓口(FRホットライン)を現地言語で整備。UNGPが定める苦情処理メカニズムの8要件に関して自己評価を行い、特に「アクセスすることができる」「公平である」ことに課題があったため、工場で移住労働者が働いている場合に母国語でホットラインを案内できるよう、ポスターを多言語で作成している。
また、単に苦情が何件あったかだけではなく、寄せられた苦情のうち何件がILO条約や現地法の違反として認定され、そのうち何件を解決・是正したかの違反認定の定量情報を開示。2022年度は33件が違反認定され、うち28件を解決しており、救済事例を公表している。具体的には、カンボジアでの事業再編に伴う労働者の雇用不安事案、ベトナムでの退職引き留め事案、バングラデシュでの管理職による女性労働者へのハラスメント事案等、実際に起きた問題と、それに対して同社がどのように介入し、労働者が納得する救済に至ったかを事例として開示している。
さらに、2025年8月期からCSRDやCSDDD等を見据えた持続可能なサプライチェーン構築のため、同社独自の監査方法を導入。従来の監査項目に加え、各国・各工場固有のリスクを反映した項目を追加し、工場のガバナンス機能や組織体制、工場から共有される情報の信頼性に対する監査項目も充実させ、より厳しい基準で工場の人権リスクを把握できる体制を構築している。この新監査において、重大なリスクがあるE評価の工場は28箇所にのぼった。課題の内訳として、連続勤務や情報の信頼性が主となっており、各工場と改善や再発防止に向けて対応策の策定・実行に既に着手している。
(出所)ファーストリテイリング「INTEGRATED REPORT 2025」
Eni
イタリア石油ガス大手Eniは、2026年版のCHRB評価において、全ての分野で高い評価を得ており、評価分野B:取締役会レベルの責任、評価分野D:人権デューデリジェンス、評価分野E:救済措置と苦情処理メカニズム領域で満点を獲得している。
ファーストリテイリングとの比較では、特に人権DD分野スコアで差をつけている。同社は、2025年に100名以上の社内部門や権威ある外部ステークホルダーを含めたワークショップを通じ、自社にとってリスクが重大な人権課題(Salient Human Rights Issues)の更新プロセスを実施し、労働者、地域社会、消費者に関する13の主要課題を特定。前年比で2倍となる1,000件以上のサプライヤー監査を文書及び現地で実施している。
また、実施した人権影響評価(HRIA)に基づくアクションプランを中間評価及び最終評価を伴うモニタリング計画に紐付け、対策の有効性を測定。パフォーマンス評価を通じて得られたベストプラクティスと教訓を特定し、その結果を主要なステークホルダーを巻き込んだ情報セッション等で共有している。
是正措置の実施例として、2025年にアルジェリアの事業において、請負業者による労働者への賃金支払い遅延が発覚した際、同社は直ちに介入し、未払い賃金の支払いを実現させた。さらに、当該業者をウォッチリストに登録した上で、今後の入札から除外する措置を実行したことを具体的に開示している。
救済措置と苦情処理メカニズム領域では、従業員や第三者が匿名で利用できる内部通報システムと、地域コミュニティ等が利用できる苦情処理メカニズムを運用。いずれも現地の言語への対応や、申し立て時のサポートの必要性を評価し、アクセシビリティを確保する仕組みが組み込まれている。また、懸念を報告した労働者やステークホルダーに対するあらゆる形態の報復を固く禁じており、人権擁護者に対する直接的・間接的な脅迫や攻撃を一切容認せず、対話を積極的に求める姿勢を明記している。
2025年の実績では、調達及び人事に関する79件の内部通報の調査を完了したことを報告。内部通報によって事実が確認された身体的・心理的・言語的な暴力やハラスメント事案に対し、加害者への解雇や停職といった懲戒処分を下した事実を公表している。また、2025年中に地域社会から、21件の苦情を受理し、18件を解決。サプライヤーとの関係、地域活動への影響補償、臭気や緑地管理等の苦情の具体的な内容についても内訳を報告している。
2社の開示事例から、人権DD、救済措置と苦情処理メカニズムにおいて、仕組みを整えるだけではなく、対策の有効性を測定し、その評価から得られた改善点や教訓を施策に反映すること、苦情や是正措置の具体的な件数や内容について開示することが求められている。
企業に求められる実効性を伴うアクションへの移行
潜在的な人権への負の影響は、いかなる企業にも常に存在するという前提に立つ必要がある。改定版NAPに準拠しつつ、より実効性を伴うアクションへと移行することが求められている。
人権DDのプロセスにおいては、企業が特定された全てのリスクに対して直ちに対処することは実務上困難であるため、対応の優先順位付けを行う必要がある。この際、国連ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)では、優先順位は経営リスクの大小を基準とするのではなく、人権への負の影響の深刻度によって決定されなければならない。この深刻度は、3つの基準「規模(Scale)」「範囲(Scope)」「是正困難度(Irremediability)」を踏まえて定義される。
さらに、リスクの有無を特定するだけではなく、発生した問題にどう対処し、得られた教訓がマネジメントシステムの改善にどう反映されたかを開示していくことが求められている。改定版NAPにおいても、「企業は、株主、従業員(求職者を含む。)、顧客(消費者)、投資家、地域社会等のステークホルダーに対して、自身が人権を尊重する責任を果たしていることを説明できなければならない」としている。CHRBの評価基準に照らしても、起きた問題を報告し、適切な救済を提供する姿勢は肯定的に評価される構造となっている。
方針策定やセルフチェック調査(SAQ)といったステップから一歩踏み出し、グローバルサプライチェーンにおける実践的な行動へと移行するためのアクションを具体的に検討していく必要がある。
【参照ページ】「ビジネスと人権」に関する行動計画(改定版)
【参照ページ】「ビジネスと人権」に関する行動計画(改定版)概要
【参照ページ】「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)
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鈴木靖幸
コンサルタント
直近では、大手ECプラットフォーム企業のSSBJ基準に対するGAP分析を担当。Sustainable Japan編集、各種レポート執筆を担当。