
自然資本会社(Natural Asset Company:NAC)は、森林、湿地、草原、流域、海洋等の健全な生態系サービスを、資本市場で投資可能な資産として扱うことを目指す新たな企業形態である。従来の金融市場は、木材、農作物、鉱物、石油等、自然から「採取できるもの」の価値評価には長けてきた。一方で、立木の森林、健全な土壌、きれいな河川、洪水調整機能、炭素吸収、花粉媒介、生物多様性等、自然が存在し、機能し続けることで生み出される価値は、十分に価格付けされてこなかった。NACは、この構造的な歪みに対し、生態系サービスを企業の生産資産として捉え、自然の保全・再生によって企業価値が高まる仕組みを作ろうとする構想である。
国際環境NGOの世界資源研究所(WRI)は2026年3月、NACの考え方、意義、普及に向けた課題を整理した解説を公表した。WRIは、自然が食料、水、気候調整、花粉媒介等を通じて経済活動を支えているにもかかわらず、その価値の多くは金融システム上で不可視化され、市場は自然の再生よりも劣化をより一貫して報いてきたと指摘。さらに、国連環境計画(UNEP)の報告書を踏まえ、世界全体では自然を軸としたソリューション(NbS)への投資1米ドルに対し、自然破壊に繋がる投資が30米ドルに上るとも説明している。
ただし、NACを理解する上で欠かせないのは、この構想が米国で強い政治的・法的反発を招き、そうした反発が広がる中で、ニューヨーク証券取引所(NYSE)の上場制度案が撤回されたという経緯だ。本稿では、NACの仕組みとともに、何が争点になったのかを解説し、日本企業にとっての含意を整理していく。
NACとは何か
NACとは、イントリンシック・エクスチェンジ・グループ(Intrinsic Exchange Group:IEG)が開発した新たな企業形態。WRIによると、NACは健全な生態系を投資可能な資産に変えることを目的とする会社であり、森林、湿地、草原等の自然システムと、それらが生み出す生態系サービスの保全・強化に企業価値を連動させる。投資家は、鉱山やプランテーションに投資するのではなく、社会と経済を支える生態系のスチュワードシップに投資することになる。
具体的には、NACは、土地や自然資産そのものを必ずしも所有するのではなく、土地所有者等とのライセンス契約を通じ、特定地域の自然資産価値及び生態系サービスに関する経済的権利と管理権限を取得することを想定した会社だ。これらの生態系サービスに経済価値を付け、先住民、地域社会、企業、保全団体、土地所有者等の既存の土地管理主体と協働しながら、自然の保全、再生、持続可能な管理を進める。生態系サービスはNACの生産資産として扱われ、生態系が保全・再生されるほどサービスの量と質が高まり、NACの資産価値と株式価値が上がるという考え方である。収益源としては、生態系クレジット、持続可能な収穫、エコツーリズム、生態系管理への対価、流域保全への支払い、企業や自治体による自然関連サービスの購入等が想定される。
重要なのは、NACが単に自然を保全する非営利組織ではなく、自然の健全性そのものを企業価値の源泉にしようとする点である。従来の企業では、自然は事業活動の外部条件、原材料供給源、または環境負荷の対象として扱われることが多かった。NACでは逆に、自然システムそのものが企業の中核資産になる。自然保全を「コスト」や「慈善」から「投資対象」へと移す試みであり、WRIは、NACが成功すれば、自然は外部性やオフセットではなく、資本市場の中核に置かれる価値上昇型の資産になり得ると説明している。
構想は机上に留まらず、NACを想定した初期的な組成・実証構造も開発されている。WRIによると、米アラスカ州の先住民の土地が生み出す生態系サービスを対象とする構造と、米モンタナ州で生産的土地利用が行われる大規模な土地を対象とするものが先行例となっている。但しWRI自身、数件の実証例だけではアセットクラスとは呼べず、普及には個別案件ベースの試みから標準化された制度設計への移行が必要とも付言している。
NYSE上場構想はなぜ頓挫したか
NACは2021年9月、NYSEとIEGが、NACという新たな上場アセットクラスを共同で開発すると発表したことで世界的な注目を集めた。当時の発表では、自然資産が年間125兆米ドル(約20京円)規模の生態系サービスを生み出しているとの推計が示され、IEGには米州開発銀行(IDB)やロックフェラー財団等が初期投資家として関与。同構想では、NACをNYSEに上場させ、投資家が株式市場を通じて自然資本に投資できる仕組みを整えることが想定されていた。
【参考】【アメリカ】ニューヨーク証券取引所、自然資本会社NACの上場区分設立へ。NAC提唱のIEGと(2021年9月20日)
IEGは、従来の財務諸表では捉えられない生態学的価値を測定するため、米国会計基準(US GAAP)に基づく財務諸表を補完する独自の「エコロジカル・パフォーマンス会計」フレームワークを開発していると説明。NYSEは、NACに特化した上場要件を策定し、米証券取引委員会(SEC)の承認を得る方針だった。
NYSEは2023年9月、NACの上場基準を上場企業マニュアルに追加する規則変更案をSECに提出。同案では、NACは「自然資産の価値とその生態系サービスの生産を能動的に管理、維持、必要に応じて回復し、成長させることを主目的とする会社」と定義され、主目的と整合する範囲で持続可能な収益事業を行うことも想定されていた。
しかし、この上場基準案は強い議論を呼び、2024年1月には共和党系の25州の司法長官が連名でSECに反対書簡を提出。政治的・法的反発が広がる中、NYSEは同月、規則変更案を撤回した。NYSEは撤回理由を公表していないため、反対運動が直接の理由だったかは確認できないものの、反対書簡では、土地利用権や公共地管理への影響、海外資本による自然資産支配、農業・林業・資源開発への制約、自然の金融商品化に対する懸念等が挙げられていた。
具体的には、司法長官団が、NACを「収益を上げることではなく、土地を囲い込んで生産的な経済利用を禁じることを目的とする会社のための仕組み」と指摘。下院天然資源委員会のウェスターマン委員長ら共和党連邦下院議員15人は、「前例なき権力の簒奪」と批判した。また農業団体は、外国資本がNACを設立または支配し、ライセンス契約等を通じて米国内の土地利用や自然資産管理に影響を及ぼす手段になり得ると警告。ユタ州財務官からは、国家安全保障の問題との声も上がった。
法律論では、司法長官団は、SECが証券取引所の上場規則を通じて土地利用や自然資産管理に関する政策を事実上制度化することは、証券取引所法上の権限を超えると主張。さらに、行政手続法、連邦土地管理関連法、民間主体への権限委譲を巡る合衆国憲法上の問題等を提起した。
さらに商品設計の観点では、利益相反、IEG独自の報告方法論の使用義務、収益モデルの不確実性等が批判された。利益相反に関しては、NYSE自身がIEGの少数株主であり、IEGがNACの組成を支援すると同時に、上場NACが使用する生態学的パフォーマンス報告枠組も開発・管理する構造が問題視された。批判者からは、方法論を独立機関が管理しておらず、市場形成と評価基準の策定が同一主体に集中しているとの懸念が示された。
但し、NYSEが上場制度案を撤回したからといって、NACの概念が消えたわけではない。2026年3月には、WRIが自然資本ファイナンスの制度設計上の論点としてNACを再整理している。
従来の自然保全ファイナンスとの違い
NACの第一の特徴は、プロジェクト単位の資金供給ではなく、自然システムの長期的な健全性に企業価値を連動させる点である。従来の自然保全ファイナンスは、助成金、補助金、カーボンクレジット、生物多様性クレジット、生態系サービスへの支払い(PES)、ブレンデッド・ファイナンス、インパクト投資等、多くが特定のプロジェクト・期間・成果指標・地域に紐づく資金供給だった。
WRIは、NACについて、保全ファイナンスをプロジェクト単位の取り組みから、恒常的な企業構造へ移行させる試みと説明。個別の森林保全プロジェクトや湿地再生プロジェクトに資金を入れるのではなく、自然システムの長期的な健全性を価値の源泉とする企業構造を作るということだ。
NACは、複数の保全活動、生態系サービス収益、クレジット、エコツーリズム、持続可能な土地利用等を、単一のエクイティ・ビークルの下に束ねる傘のような機能を持ち得る。
また、NACでは、自然資産の維持・改善が会社の設立目的及び企業価値の源泉となるため、生態系パフォーマンスを取締役の監督責任と結び付ける制度設計が想定されるという特徴もある。NACでは理論上、生態系が改善すれば企業価値が高まり、劣化すれば毀損する。例えば、従来のサステナビリティ実務の中心は、排出量・水使用量・廃棄物・森林破壊リスク等のマイナス影響の削減だったが、自然が回復し、水質が改善し、生物多様性が増すこと等のポジティブ影響も、企業価値の上昇要因として重要性が高まる。
これにより、生態系パフォーマンスは、取締役にとって周辺的なサステナビリティ課題ではなく、企業価値に直結する財務的に重要な要素として扱われるようになる。カーボンクレジットや生物多様性クレジットが単位化された成果を市場取引し、収益化するのに対し、NACは自然資産が生み出すサービス群の全体を価値評価の対象にできる。
また、生態系サービス全体をNACの資産価値として評価しながら、同じ生態系からカーボンクレジットや生物多様性クレジットを発行する場合には、同一の自然関連成果を企業価値、クレジット、資金提供者のインパクトとして重複計上しない仕組みも必要となる。
なぜNACが構想されるのか
背景にあるのは、自然資本の資金ギャップの大きさだ。国連環境計画(UNEP)の報告によると、生物多様性の損失を止め反転させるには世界全体で年間7,000億米ドル(約110兆円)の追加資金が必要とされる。これは世界GDPの1%未満相当の規模だが、現在の資本配分の構造では、公的資金、助成金、CSR、個別プロジェクト投資だけでこのギャップを埋めることは難しい。
自然資本の問題は、気候変動と同様、外部性の問題である。森林が存在することで炭素が固定され、水が浄化され、土壌が保持され、地域の気候が安定し、生物多様性が維持される。しかし、それらの価値の多くは、森林を伐採して木材や農地に変えた場合の短期的な市場価値よりも、金融市場では評価されにくい。その結果、自然を残すよりも転換・採取する方が収益化しやすい構造が生まれている。
WRIは、資本市場が毎年数兆ドル規模の資金配分を行っていることを踏まえ、その一部でも採取ではなく保全・管理を基盤とするNACに割り当てれば、自然にとって大きな意味を持ち得ると分析。年金基金、保険会社、インフラ投資家等の長期資本を呼び込めるかどうかが、今後の自然資本ファイナンスの鍵になるとした。
さらに、NACは投資家にとっても新たな意味を持つ可能性がある。自然資本は、気候変動、生物多様性、水リスク、食料システム、保険リスク、不動産価値、サプライチェーンのレジリエンスと密接に関係している。自然の劣化は、企業価値に対する物理的リスク、移行リスク、訴訟リスク、評判リスク、操業リスクを高める。逆に、自然の保全・再生に資本を配分することは、単なる環境配慮ではなく、長期的なリスク管理と実物資産価値の形成につながり得る。
測定・会計・保証という難所
NACの最も難しい論点は、自然をどう測定し、会計上どう表現するかだ。森林の価値は木材価格だけではなく、水源涵養、炭素吸収、生物多様性、土壌保持、文化的価値、先住民・地域社会との関係等、多層的であり、これらを一つの金銭価値に還元することには、技術的にも倫理的にも難しさがある。
WRIは、NACの普及には、国連環境・経済統合勘定(SEEA)等の認知された基準と整合する評価・会計枠組みが必要だと指摘。SEEAは、環境データと国民経済計算を接続する国際的な統計枠組であり、自然資本会計の基礎の一つ。NACの企業価値は通常の売上や利益だけでなく、生態系サービスの状態と将来価値に依存するため、水質は改善したのか、土壌有機物は増えたのか、炭素蓄積量は増えたのか、生物多様性指標は改善したのか、地域社会への便益は公平に配分されているのかを測定し、投資家に説明し、独立第三者保証の対象にできなければならない。
米フォーダム大学Responsible Business Centerの自然資産会計基準審議会(NAASB)は、自然資本会計の枠組づくりを始めており、IEGはNACの生態系報告に対する保証意見の提供に向け複数の会計事務所を起用しているという。
但し、自然資本会計で自然の状態や生態系サービスの経済価値を測定することと、その価値をUS GAAPや国際財務報告基準(IFRS)上の資産として貸借対照表に計上することは同義ではない。NYSE案でも、生態系価値は通常の財務諸表とは別のエコロジカル・パフォーマンス・レポート(EPR)で報告する設計であり、財務諸表上の売上、利益、資産とは区別されていることには留意が必要だ。
NACの普及に必要な4つの基盤
WRIは、NACを試験的なモデルから拡張可能な投資商品へと発展させるには、「評価・会計枠組」「独立第三者保証の仕組み」「法的枠組」「上場・市場制度」の4つの基盤が必要と整理。まず評価・会計枠組では、SEEA等の既存基準と整合し、一貫性と透明性がある形で自然資本の価値を測定し、投資家がNAC間を比較できる方法論が必要になるとした。
独立第三者保証の仕組みでは、NACの企業価値の源泉となる生態系の主張が信頼できるかどうかが肝となる。なお、撤回されたNYSE規則案自体も、EPR及びその基礎となる技術調査を独立レビュー担当者が毎年検証し、EPRには米公開企業会計監督委員会(PCAOB)または米国公認会計士協会(AICPA)の保証基準に基づく合理的保証の報告書を付すことを求めていた。そのため、課題は保証要件の有無ではなく、その前提となる評価方法論の妥当性、方法論管理主体の独立性、自然価値に対して合理的保証を提供できる実務能力にある。
法的枠組では、生態系サービスに関する経済的権利を扱うため、その権利の所在と範囲を明確にしなければならない。WRIは、同時に先住民及び地域社会の利益を保護する必要があると指摘。土地所有権、使用権、水利権、炭素権、生物多様性クレジット、先住民の権利、地域社会の慣習的権利、国家の主権、公共信託の考え方等が複雑に絡む。権利設計を誤れば、自然保全の名の下に地域社会の権利を侵害する「グリーン・グラビング」に繋がる懸念もある。
上場・市場制度に関しては、2021年に公表されたNYSEとIEGの構想と、2023年のNYSE規則案が、その試みだった。しかし、政治的・社会的反発も含め、制度化の難しさが示された。NACを広く投資可能な商品とするには、投資家保護、開示、ガバナンス、土地・地域社会の権利保護を確保した市場制度が必要になる。
残る批判とリスク
一方、NYSEの撤回で表面化した論点の他にも、NACには構造的な批判が残る。まず、自然の金融商品化そのものに対する否定的な見方だ。自然には市場価格に還元できない文化的、精神的、共同体的価値があり、これらを金融価値に置き換えることが適切ではないと考える人もいる。
権利と分配にも問題がある。NACが保有する生態系サービスの経済的権利は、誰から、どのような同意に基づいて取得されるのか。先住民や地域社会は協力者なのか、共同所有者なのか。収益はどう分配され、地域の将来の土地利用は制限されないのか等を明確にしなければ、資産支配と見なされる危険性がある。
グリーンウォッシュのリスクもある。生物多様性や生態系の健全性は、温室効果ガスのように単一指標で測りにくく、指標の選び方、ベースライン、時間軸によって見え方が大きく変わるため、測定が不十分なまま「自然に投資している」と主張する余地が生まれ得る。
また、収益化の現実として、自然資産の価値が大きいことと、投資家に十分なキャッシュフローが生じることは同義ではない。エコツーリズムやクレジット収入が成立する地域もあれば、成立しにくい地域もある。資産価値の上昇を投資家に説明するには、生態系サービスの価値とは別に、誰が、どの契約に基づき、どの価格で支払うのかという収益化メカニズムが必要になる。
さらに、既存の自然保全政策との整合性も論点となる。国立公園、保護区、水源、先住民の土地等、公共財としての性格を持つ自然を、民間のエクイティ・ビークルにどこまで委ねるべきかという政策上の問題は避けられない。
日本企業にとっての意味
日本企業にとって、NACは直ちに国内で導入される制度というよりも、自然資本を資本市場や企業価値に接続する際に生じる論点を先取りした企業モデルとして捉えるべきだ。特に、食品、飲料、アパレル、化学、建設、不動産、商社、電力、鉱業、林業、紙パルプ、観光等、自然資本への依存・影響が大きい業界では、自然の状態を事業上のリスク・機会として把握し、投資判断や経営戦略に組み込む動きが強まっていくと考えられる。
日本政府も、2024年に策定した「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」で、自然資本を事業活動にとってのリスクと機会の両面でマテリアリティとして位置付け、企業の価値創造プロセスに組み込む必要性を示した。さらに、2025年に策定した2030年までのロードマップでは、企業がネイチャーポジティブ経営への移行を価値創造ストーリーに位置付け、機会創出による持続的なキャッシュフローの増加と、リスク管理による資本コストの低減・最適化を図る将来像を提示。金融機関・投資家についても、企業との対話を通じ、自然関連の取り組みを投融資判断に織り込む姿を掲げている。
【参考】【日本】政府、「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」発表。企業経営転換の手引き(2024年3月30日)
【参考】【日本】環境省、「ネイチャーポジティブ経済移行戦略ロードマップ(2025-2030)」公表(2025年8月2日)
日本国内では、環境省の「自然共生サイト」認定制度と、同サイトへの企業等の支援を証明する「支援証明書」制度が整備されている。自然共生サイトは、企業、自治体、NPO等が管理する区域について、生物多様性の保全に資する場所として国が認定する制度。一方、支援証明書制度では、自社で自然資産を所有していない企業でも、自然共生サイトに対し、資金、人材、技術等を提供し、その支援内容について環境省の証明を得られる。
但し、自然共生サイトへの支援を行ったこと、生態系の状態が改善したこと、生態系サービスに関する経済的権利を保有すること、その活動から収益を得ることは、それぞれ異なる。支援証明書は支援事実を示すものであり、支援による自然関連アウトカムや、クレジット等の環境価値の帰属を自動的に保証するものではない。企業には、投入した資金や人材、実施した活動、活動による直接的な成果、生態系の状態変化、事業上の便益を区別し、ロジックモデルや継続的なモニタリングを通じて説明することが求められる。
自然関連実務では、企業全体の水使用量や保全支出等の集計だけでなく、自然との接点を場所単位で把握することが重要になる。自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)のLEAPアプローチは、企業が自然と接する場所を特定した上で、依存・影響、リスク・機会を評価し、対応と開示に繋げる構造を採用。科学に基づく目標ネットワーク(SBTN)も、淡水や陸域について、直接操業及び上流サプライチェーンの影響を評価し、場所に即した目標を設定する方法を整備している。日本企業には、生産拠点だけでなく、原材料の生産地、調達地域、流域、土地利用、生態系の状態等を段階的に把握するデータ基盤が必要となる。
金融機関にとっては、自然資本を新たなアセットクラスとして扱う可能性だけでなく、既存の融資先や保有資産が自然劣化にどの程度脆弱かという問題がある。農業、林業、水集約型製造業等では、生態系の劣化が原材料価格、収量、操業継続、サプライチェーン、担保価値、返済能力等に影響し得る。自然関連リスクを業種単位で把握するだけでなく、融資先の拠点、調達地域、流域、土地利用等に落とし込み、与信審査、ポートフォリオ管理、シナリオ分析、エンゲージメントに反映する必要性が高まる。
コーポレートガバナンスの観点でも示唆がある。自然資本の価値をUS GAAPやIFRS上の資産として認識できるかという論点とは別に、企業は自然への依存・影響、将来の規制、復元費用、供給途絶リスク等を、設備投資、拠点選定、原材料調達、事業継続計画等の社内意思決定に組み込むことができる。自然関連のリスク・機会が財務的に重要であれば、サステナビリティ部門だけのテーマではなく、取締役会や経営会議が監督・判断する経営課題として扱う必要性が高まる。
今後の焦点
今後のNACを巡る焦点としては、上場以外のどの形態で実装が進むか、SEEAやNAASBを軸とする自然資本会計の標準化、TNFD・SBTNとの接続、保証実務の確立、先住民・地域社会が意思決定と価値配分に関与できる権利設計、クレジット収入やエコツーリズム等が安定的なキャッシュフローを生むかという収益モデルの実証等がある。
WRIは、NACを、自然をバランスシートに載せる自然資本会計、トークン化された生態系クレジット、ブロックチェーンを活用した自然価値への資金流入の仕組み等と並ぶ、革新的なネイチャーファイナンスの一部として位置づけており、NAC単独ではなく、自然資本を金融・会計・ガバナンス・デジタル技術に組み込む広い流れの中で捉える必要がある。
また、アセットクラスは自然発生するものではなく、基準、開示制度、ガバナンス枠組、市場制度によって構築される。インフラ投資やREITも、制度と市場慣行の整備を経て投資対象として定着してきた。NACが同じ道をたどるかは、自然の価値を測る技術だけでなく、誰の権利を守り、誰に利益を配分し、どのようなガバナンスで自然を管理するのかという社会的な設計にかかっている。現在の金融市場が自然の価値を十分に反映できていないという事実を正面から突く構想として、NACはネイチャーポジティブに向けて資本市場が避けて通れない論点の試金石と言える。
【参照ページ】‘Natural Asset Companies’ Could Finally Make Healthy Ecosystems Investable
【参照ページ】Putting Nature on the Balance Sheet: How Natural Capital Accounting Works
【参照ページ】SR-NYSE-2023-09
【参照ページ】NYSE and Intrinsic Exchange Group Partner to Launch a New Asset Class to Power a Sustainable Future
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菊池尚人
チーフコンサルタント 兼 事業開発室長
2016年新卒から10年コンサルティング業界に従事。2019年より現職。
大手企業・金融機関向けESG戦略・投資アドバイザリーのリードに加え、 サステナビリティ経営に関する研修講師、Sustainable Japan編集も務める。