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【水口教授のヨーロッパ通信】自然資本会計の可能性 - 自然資本世界フォーラムに参加して 2015/12/08 ESGコラム

nature

 ロンドンから北に列車で4時間半。スコットランドの首都、エジンバラで2015年11月23日、24日の2日間、「自然資本世界フォーラム(World Forum on Natural Capital)」と題した大規模なシンポジウムが開かれた。世界14カ国から500人以上の参加者を集め、自然資本をめぐってさまざまな議論が交わされた。自然資本連合(Natural Capital Coalition)からは「自然資本プロトコル」の公開草案も公表された。これは今後「自然資本会計」となっていくのだろうか。フォーラムでの議論を紹介しつつ、自然資本会計の可能性を考えてみたい。

1.自然資本プロトコルとは何か

 最も印象的な場面は、2日目冒頭の全体セッションだった。正面のスクリーンいっぱいに赤茶けて荒廃した丘陵が映し出された。90年代半ばの中国、黄土高原の様子である。そして付近の住民の貧しい暮らし。そのスクリーンを背にして、これを撮影した中国人映像作家がゆっくりと静かに語る。世界の多くの文明がこれと同じ運命をたどった、と。自然を収奪し尽くして荒廃したというのである。だが、驚くのはその先である。それから15年後、植林などの緑化活動で、その同じ場所が緑の丘陵に変わっていた。

 この10分余りの映像は、自然資本の意味を、視覚的にわかりやすく伝えるものだった。私たちの生活は、安定した気候や地球規模での水の循環、CO2を吸収してくれる広大な森林、海の恵みなどに支えられている。これらのすべてが自然資本である。この自然資本を過剰に利用することで一時的に繁栄した文明は、やがて自然資本を失うことで衰退してしまう。だが、自然と上手く付き合えば、自然資本を維持することもできるし、再び増やすこともできる。

 問題は、それだけわかっていても、現実の経済活動の中では自然資本が過剰に消費され、失われていくことである。「自然資本をマクロ経済の仕組みやマクロ経済政策の中に組み込んでいく必要がある」とは、フォーラムで講演した多くの参加者が異口同音に口にした言葉である。

 実際、フォーラムの分科会セッションでは、自然資本の維持に取り組むさまざまな事例の発表があった。たとえば高級スーパーのウエイトローズ(Waitrose)を運営する英国のジョン・ルイス・パートナーシップ社(John Lewis Partnership)は、サプライヤーの農家と協力して土壌の改善につながる方法で飼育した豚を販売する、「エコ・ピッグ」の取組みを報告した。スカイ・チャンネルなどを運営する英国の大手放送事業者スカイ社(Sky plc)は、世界自然保護基金(WWF)と協力した「スカイ熱帯雨林救出キャンペーン(Sky Rainforest Rescue campaign)で、熱帯雨林をテーマにした番組提供を通じて視聴者の啓発に取り組み、同社と視聴者のマッチング寄付で6年間に930万ポンド(約18億円)の資金を集めたほか、持続可能なゴム製品の開発によって現地住民が森林を伐採せずに生活できる道筋を作ってきた。

 このように事業の中で自然資本に配慮する取組みを、よりシステマティックに推進するために、自然資本プロトコルの策定が進められており、フォーラム初日のディナーの席上で、その公開草案が公表された。意見の募集期間は2月26日までであり、その後数か月の検討期間を経て、2016年6月に第1版を公表するとしている。策定主体の自然資本連合は、企業、会計グループ、NGOなど168組織(2015年11月時点)が参加する連合体であり、プロトコルの完成に先立って50社以上の企業によるパイロットプログラムも進行中である。

 図は公開されたプロトコル案の全体の枠組みを示している。このプロトコルは、自然資本評価(Natural Capital Assessment)の手順を示したもので、まず評価の目的を決め、測定対象とする自然資本の範囲を決め、実際に測定と価値評価を行って、事業の判断に組み込むという一連のプロセスからなる。評価を行う場面は、資源調達や工場等の立地の選択、新製品開発、サプライチェーンでのプロジェクト投資などさまざまである。このようにこのプロトコルは、自然資本の評価をいかに企業内部の意思決定に組み込むかに焦点を当てている。新しい評価方法を提案しているわけではなく、従来さまざまな形で行われてきた評価のプロセスを整理したという側面が強い。それではこれは、いわゆる「自然資本会計」の標準化につながるのだろうか。

自然資本ー図1

2.外部報告への期待と課題

 フォーラムの分科会セッションでは、自然資本に関して、投融資先の企業評価に使える検証可能で標準化された情報がほしいという金融関係者からの意見が多かった。投資家を対象とする統合報告のフレームワークに、自然資本の考え方が入っていることを指摘する発言も目立った。だが、プロトコルの策定側の意見は慎重だった。外部報告の重要性は認識しているが、現在のプロトコルの草案は企業内部での意思決定用であって、確定版を出す2016年6月までの間に外部報告目的にまで議論を拡張するのは時期尚早という考えのようであった。

 その理由は、プロトコル草案の内容を見るとよくわかる。全140ページにわたるこの草案は、企業内のさまざまな意思決定の場面を想定して、サプライチェーンも含めた広範な自然資本の測定と評価を包括的に取り扱っている。実際に企業が自然資本評価を行う場合には、具体的な意思決定に焦点を当て、測定の範囲を絞って実施するという想定である。言い換えれば、企業活動が自然資本と関わる場面はきわめて多様であり、ここに書かれている測定と評価を網羅的に行うことは想定されていない。このプロトコルに沿ってサプライチェーンを含めた環境負荷をすべて測定して開示することは、論理的には望ましいかもしれないが、現実には作業負担が大きすぎるだろう。

 外部報告目的の自然資本会計というときイメージしやすいのは、その企業の年間のエネルギー使用量やCO2排出量、水使用量、化学物質放出量などの環境負荷を一覧にしたエコバランスないしマテリアルバランスではないだろうか。それをサプライチェーンに拡張するというのは、たしかに論理的には考え得る方向の1つである。

 実際、2011年にはスポーツ用品大手のドイツのプーマ社が、水、温室効果ガス、土地利用、大気汚染、廃棄物の環境負荷量をサプライチェーンに遡って推計し、それらを貨幣換算した「環境損益計算書(Environmental Profit & Loss)」を公表した。2013年からはプーマの親会社であるフランスのケリング社(Kering)がグループ全体の環境損益計算書を公表している。これ自体はサプライチェーンのリスク管理やブランド戦略にもつながる先進的な取組みと評価できる。

 だが、1つ1つが複雑なサプライチェーンを持つ多様な製品を生産する企業が、それらの環境負荷をすべて測定しようとすれば、相当な労力が予想される。しかも仮にそこまでしたとしても、それらの情報のすべてが投資家にとって有用とは限らないのである。

 それでは投資意思決定に有用な情報とは何か。それは、マテリアリティの高い情報、特に投資先企業のリスク評価に役立つ情報であろう。たとえば今回のフォーラムでは、「水問題に関する座礁資産(stranded assets)」という言葉を何度か聞いた。座礁資産と言えば、気候変動問題に関連して将来使えなくなる可能性のある石油・石炭などの資産という意味で使われてきたが、今後は、水不足が深刻化すると予想される地域に原料調達を依存していたり、工場を立地していたりすることが、同様のリスクになるというのである。

 この指摘には、現在の環境負荷を貨幣換算した「真のコスト(true cost)」も大事だが、むしろ「真のリスク(true risk)」を市場に織り込むことが重要だというメッセージが込められている。水問題以外にも漁業資源の枯渇や受粉を媒介する蜜蜂の危機など、自然資本に関わるリスクは多い。そのようなマテリアリティの高い問題に焦点を当てて、サプライチェーンのリスクを示すものならば、投資意思決定に有用な情報になるのではないか。

 それでも、これまでそのような情報を把握してこなかった企業にとって、作業負担は小さくないだろう。だが、それは自社にとってもリスク管理上必要な情報のはずである。そしてそのようなリスク把握のためには自然資本プロトコルが役にたつ。プロトコル自体は企業内部の意思決定を改善することに主眼があるが、外部報告目的の自然資本会計を考える上で出発点となる可能性もあると言えるだろう。

【関連資料】
ジョン・ルイス・パートナーシップのエコ・ピッグ
スカイ熱帯雨林救出キャンペーン

QUICK ESG研究所 特別研究員 / 高崎経済大学経済学部 教授 水口剛

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